我々はどこに向かおうというのか / 引き続き古畑任三郎Final・第三夜

 以下の日記に対して「他人を、それも不特定多数の人間を安全な場所から見下して悦に入るとはふてえ野郎だ。品性下劣!」などと思われる向きがあるかもしれないのだが、そして確かにそういう面がないとは言わないのだが、しかし、この文章の主眼はそこにはない。このことは予め強調しておく。
 「はてなダイアリー-「古畑任三郎」を含む日記」なんかを眺めていて驚愕したのである。『事件の前に双子が入れ替わっている』というバレバレの、安易すぎて逆にミスリードなのではないかと疑ってしまうレベルのネタ振りに、序盤で気づかない視聴者が一定数いるという事実。そこに気づいていただけないのであれば、昨日の日記で言ったように入れ替わったと見せかけて入れ替わっていませんでした! とかやってもまるで意味がない。この現実と、我々はどう付き合っていけば良いというのか。
 お約束を逆手に取ったトリックなどは、お約束を知る者にしか機能しない。双子が出たら入れ替わりを疑う、そんな見方をする者が全員ではないのだ(当たり前だ、これはTVだ)。本格的なミステリ読みは日本全国で一万人も存在しない、という例の言葉を久々に思い出し、身震いする次第である。