古川日出男『ベルカ、吠えないのか?』読了。

ベルカ、吠えないのか?

ベルカ、吠えないのか?

 『二十世紀は戦争の世紀である』(大前提)
 『戦争といえば軍用犬である』(小前提)
 →『よって二十世紀はイヌの世紀である』(結論)
 というまったく隙のない論理に基づき、イヌの血統を軸に百年を語ってみせる大河小説(といっても三百ページ少々ですが)。語るは騙ると言い換えても良いでしょう。どこが嘘かを問うよりも、どの程度史実をまぶしてあるのか、と訊いた方がたぶん早い。ええっと、ベトナム戦争でゲリラ狩りに軍用犬が使われたってところまでは本当?
 しかしなんといいますか、奇妙な本でした。個々のパーツ、エピソードなんかは大変面白いんです。三人称と見せかけて二人称、と見せかけて実は一人称という先鋭的な語り口。ロシア人の殺し屋(老人)と彼に誘拐されたジャパニーズ・ヤクザの娘(少女)の、まったく心暖まらない会話(註)。イヌ紀元元年。イヌを師と仰ぐメキシカンレスラー・怪犬仮面。などなど、まったく飽きさせません。――がしかし、改めて、じゃあ『ベルカ』ってどんな話なの、と訊かれると答えに窮するんですよね。要約できないんですよ。要旨がないから。後半に入って、殺し屋の老人が大切にしていたイヌの頭骨の由来がわかったとき、僕はおおと声を上げましたし、重要イベントの一つではあると思うんですけど、ここに話の中心があるってわけでもない。
 作者は一体何を考えているのか。何がしたくてこんなわけのわからないホラ話を書き綴っているのか? というと、もうこの世界そのものを構築したかった、としか言えないと思う。『作家の読書道:第46回』にてマルケスの『百年の孤独』を語る際、『世界の秩序に攻撃』なんて素敵な言葉が出てくるんですけど、『ベルカ』もそういう小説と言えましょう。
 
 評価:【A】【心】
 (註)
 殺し屋さんは日本語ができず、娘ッ子はロシア語ができないため、両者のコミュニケーションは以下のようになる。

少女「あんたみたいなの、日本語で露助ってゆう。死ね」
老人「シネ」
少女「ぼけ。あたしと会話してんじゃねえよ」

 ハリウッド映画、例えば『レオン』などを観慣れた僕たちは、つい殺し屋と少女→心の交流、とショートカットしがちである。リアリティ?