『笹の葉』に見るモテ要因パラドクス / 谷川流『涼宮ハルヒの退屈』

涼宮ハルヒの退屈 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの退屈 (角川スニーカー文庫)

 友人が『涼宮ハルヒの憂鬱』(ASIN:4044292019)以下全巻を貸してくれたのでジョン・クロウリーをほっぽって読んでいる。その三巻め。読了直後には取り立ててどうとも思わなかったのだが、今日になって突如『笹の葉ラプソディ』の面白さに気づいたので僭越ながら書かせて頂く。あ、言い忘れてたけど短編集ね。『笹の葉』は二つめに入ってるお話。
 『笹の葉ラプソディ』という話、その構造自体はよくあるタイムトラベルものである。いわゆる「因果の循環」系。「三年前の過去に行った主人公・キョンくんが宇宙人や未来人や超能力者について語ってあげた女子中学生」→「後の涼宮ハルヒである」的な。過去に行ったキョンくんが色々吹き込んだがために涼宮ハルヒはああ育ってしまい、ああ育ってしまったがためにSOS団は結成され、結成されたが故にキョンくんはタイムトラベルなんぞをする羽目になった。以降ループのウロボロスである。
 で、これのどこが面白いのかというと、この因果の循環の中に「なぜハルヒたんはキョンくんを見初めたのか」という疑問が閉じ込められてしまうところが面白いのである。高校でハルヒたんがキョンくんを特別扱いしたのは「三年前に会った謎の人物に似てたから」なわけだが、そもそもキョンくんの過去行きはハルヒたんに特別扱いされたことに起因するわけで後略。ハルヒたんがキョンくんを見初めたことで、遡ってその原因が発生する、というパラドクスになっているわけだ。「最初に」キョンくんを好きになったのは誰なのか──この問に答えられるものはいない。「鶏と卵のどちらが先か」に対する答えがないように。
 言い換えればこの手法、よくギャルゲーなどで見受けられる「なぜこのヘタレはヘタレの分際でもてるのか」問題に対する答えを自前で用意している形である。娘ッ子に惚れられたことで主人公くんは特別な存在となり、特別となった主人公は遡ってフラグを立ててくることすら可能とする。革命的だ。もうメイド/妹/白痴は必要ない──。手法の汎用性が著しく低いという問題はあるのだが。
 
 評価:【B】