死ね、テキスト論者、死ね、と友人は言った

 書評メソッドの話。

「それならあらすじを話してやろう。読む愉しみを奪うことにはならないからな。私はねたみ深い男だから、私の話すあらすじはおもしろいぞ」
「ねたみ深いと、どうしてあらすじがおもしろいんですか?」
「実物よりも私の話のほうをおもしろがってくれるとうれしいからさ」
 
 ──岡崎祥久『独学魔法ノート』より

 この手筋は僕も好みで、使える局面では積極的に狙っていこうとしてるんですが、しかしこれって有体に言って“騙し”なわけですよね。面白おかしく語るためなら嘘・大げさ・誤解を招く表現など全然ありという思想。いかに特殊な「俺あらすじ」を繰り出すかが勝負の鍵。
 よって実際に読んだ友人あたりから「言うほど面白くねーじゃねーか! ファック!」などとクレームをつけられるのもむべなるかなーなんですが、いや、むべなるかなーで片付けるのはどうよ、と最近思うようになりました。実物を読まれた時点で俺あらすじが負けてるってことですからね。うまく騙し切れてない。
 単体で読んで面白く、かつ実物を観られても生き残る、それが俺あらすじの、ひいては書評の理想形でありましょう。まとめ方がよくわかりませんが、まあ、俺たちの戦いはまだ始まったばかりだってことです。