判り易いジョークはうるさい、判り難いジョークはキモい。はてさて。

名探偵の掟 (講談社文庫)

名探偵の掟 (講談社文庫)

 東野圭吾名探偵の掟』を読む。
 発想○センス×。一言でいうとそんな作品であった。
 内容を簡単に説明すると、自分が小説の作中人物であるということを理解している名探偵・警部・殺人犯・その他諸々の登場人物たちが、ミステリのお約束(密室・吹雪の山荘・首斬り・時刻表トリック・などなど)でガッチガチに塗り固められた数々の事件にいちいちメタ突っ込みを入れながら奔走――という、パロディというかジョークというか、そんな感じである。
 扱っているネタは大変美味しい。だがそれだけに、この作者の、ギャグを書く上での文章センスの足りなさが残念すぎる。つまらないオチに怒った『読者』が作中人物にゴミを投げつけるシーンだとか、「今、何となく作者が顔色を変えたような気がしたもので」だとか、そういったわかり易いメタジョークがうるさく、下品だ。これは最も侮辱的な類いの発言になるが、同じネタを、例えば我孫子武丸あたりが書いていれば、三倍は面白くなっただろう。
 評価:【B】
 さて、ここから先は余談なのだが、この作品のプロローグにて興味深い一文が出てくる。以下にそれを引用する。

 さてここで皆さんに質問だが、決して真相に近づかないためにはどうすればいいか?
 そう、そのとおり。真相をいち早くつきとめ、それを避けるのが一番だ。つまり私は常に主人公である天下一探偵よりも先に事件の真相を暴き、わざとその推理を迂回しながらすべての行動を起こしているのだ。

 これは作中で『間抜けな刑事』役を与えられ、決して真相を言い当てることを許されない非業のキャラクター・大河原警部のぼやきなのだが、この立ち位置には覚えがある。そう、麻耶雄嵩『名探偵・木更津悠也』(感想はこちら)である。
 考えてみれば、両者ともに推理小説のお約束問題に関して極めて意識的である、という点で共通点が多い。そのうちこのネタで何か書こう。