『予言』について、もっと詳しく 〜カカシ少年時代編に対する説教 / 週刊少年ジャンプ感想・番外編の2

 2004/12/20の続き。
 これからNARUTOのカカシ少年時代編に対する遠回りな説教をしますよ。みんな集まれー。
 ええー、ごほん。物語において、その結末を何らかの形で鑑賞者が予め知っている、という形式を仮に『予言形式』と名付けるとします。これを予言の手法に着眼して分類していきますと、
 1.物語内に、文字通り予言者、予知能力者が現れ、未来に言及する。ジョジョ第五部におけるキングクリムゾン。HUNTER×HUNTERにおけるラブリーゴーストライター……は途中で投げたか。
 2.一段メタな表現により、鑑賞者にだけ未来が伝えられる。例:ナレーション「この二人の出逢いが二年後、米プロ野球界に革命を引き起こすことになるのだが、この時点でそれを予測するものはいなかった――」。
 3.過去編。現在のNARUTOはここに分類される。るろうに剣心追憶編とか、枚挙に暇がない。
 4.史実を基にした作品。時代劇。
 といったところでしょうか。4は少し毛色が違うように見えますが、基になる史実が充分に有名なものであれば、鑑賞者がその結末を知っている*1ことを期待できるため、ここでは予言形式に含まれると判断します。
 さて、予言形式において予め知らされる未来は、往々にして不完全なものになります*2。予言者は多くを語らないし、史実の細部は(鑑賞者にとっても、歴史家にとっても)不明でしょう。この不完全さがキモになります。言ってみれば予言形式とは、鑑賞者に対して『ツカミ』となる情報だけを与えることで、それを物語の牽引力に変える手法なのです。ミステリ的には不完全な情報をミスディレクションにすることもできますし*3、情緒的には例えば非業の結末を予感させることで、そこに至るまでの過程を趣き深いものにしてくれるでしょう*4
 で、ようやくNARUTOに関して。カカシ少年時代編を読むにあたって、読者はオビトが写輪眼を開眼し、そして死ぬであろうことを予め知っています。これは典型的な予言形式と言えるでしょう。本来ならば、死亡フラグの立ったオビトの一挙手一投足に我々はいちいちワクワク出来たはずです。しかしそこに一つ、致命的なミスがありました。我々はオビトが写輪眼を開眼し、然る後に死ぬことを知っている――つまり、写輪眼を開眼しない限りオビトは死なないということも知ってしまっていたのです。結局、オビトが一族の誇り・血継限界に目覚めたのは死の一週前でした。我々が彼の死臭に燃え萌えする時間はわずか一週しか与えられなかったのです。これは良くない。とても良くない。せっかくの予言形式が台無しです。
 ではどうすれば良くなるのか? まず、少年時代編開始時点で、既に写輪眼には目覚めているべきでしょう。んで、オビトとカカシの対立もページが勿体ないので省略。これらを踏まえて、以下、俺ストーリー
 冒頭、ある任務で二人行動するカカシとオビト。移動中、回想シーン。
 カカシとオビトは幼馴染であった。幼い頃、カカシはつまらないこと(重要。子供なりの危険な遊びレベル)で左目を失い、そのことにオビトはほんの少しだけ負い目を感じている(危険な遊びに誘ったのはオビトだった)。成長し、天性の才能を発揮したカカシであったが、左目のハンデは大きく、これまたわずかな差別を感じていた(「惜しいよな、眼さえまともなら上忍にだってなれただろうによ」「やっぱ片目じゃあチームリーダーは務まらねえよ」←陰口)。一方、オビトは写輪眼を身に付け、うちは一族として順調に力をつけていた……。
 そこで敵の襲撃、回想終了。あらかた倒し気が抜けた瞬間、カカシの左目の死角に向けてクナイが飛ぶ。カカシピンチ。しかしオビトが写輪眼発動、クナイを防ぐ。礼を言うカカシに答えるオビト(大ゴマ)。「案ずるな、カカシ――この写輪眼がある限り、俺がお前の左目代わりさ」
 以降、細かく二人の協力描写。そしてオビト、将来を語る。「俺さ……お前と二人なら、誰よりも強くなれる気がするんだ――火影にだってなれるかも知れねーぞ」「バーカ、火影になれるのは一人だけだろ」
 なんだかんだあってオビト致命傷。「俺の写輪眼……貰ってくれよ、カカシ……。言っただろ、俺がお前の眼になってやるってよ……」「オビトーッ!!」
 ほら激萌え!

*1:例えば、『新撰組』の視聴者の多くは沖田総司が若くして死ぬことを予め知っている。

*2:というか事象の全てを言葉で表現することが出来ない以上、予言は必ず断片的なものになる。

*3:例えばキングクリムゾンのエピタフは、数秒後に切断された人間の脚が宙を舞うところを見せてくれるものの、それが誰の脚なのかは教えてくれない。

*4:故に『新撰組』を描く者は、作中まだ健康な沖田に将来の夢を語らせなくてはならない。沖田の未来を予め知っているかいないかで、彼の言葉の意味合いは変わる。