ドラマ版『カクレカラクリ』感想

 観ました。録画しておいた奴を昨日、ペプシ・コーラ飲みながら。原作を読み、なおかつドラマの方も観た、そのうえ更に当サイトの読者でもある、なんて人は恐らくこの世に十人いないと思うんですけど、五人はいると思われるので書きます。その五人のうち三人は身内をカウントしてますけど書きます。その三人のうち一人は自分をカウントしてますけど書きます。書きたいんだよ……ッ!
 いやね、びっくりしましたさ。僕もね、この世に生を受けてかれこれ二十数年も経過しているわけですから、その間、自分の愛した作品がどこの馬の骨とも知れぬ輩に蹂躙され、見るも無残な残酷絵巻と化す瞬間に立ち会ったこと片手では足らずなわけでして、もうこの心臓は半ば鉄、少々のことでは動じぬ精神を身につけたつもりでありました。キャラクターの設定が違うとか、演技がどうとか、その程度のことでぐだぐだ言う気はありません。そんなにウブじゃありません。でもさ。
 まさか“隠れ絡繰り”が出てこないとは思わないじゃん。
 タイトルなのに。その存在が完全に抹消されるとは思わないじゃん。
 原作『カクレカラクリ』がどういう話だったかというと、それはひとことで言って科学技術萌え、そしてそれを経由した人間萌え、をこの上なくわかりやすく表現したものだったと理解しているのですよ。それを体現しているのが、120年前に作られて、今も人知れず動いているという“隠れ絡繰り”なわけです。隠れ絡繰りは主題そのもの(だってタイトルになるくらいだし)。これを削るってことは主題をまるごとスポイルする行為です。それをやったね! 恐れ入った。これがテレビの底力か……。
 そういうわけでほんの少しばかり煮えくり返りましたけど、でも、一晩明けた今の僕はそんなに怒ってないです。これが既存の作品の映像化(最初に原作があって、それにオファーがくる、という一般的な流れ)だったら思いっ切り怒って良いところだけど、そうではなかった。まずドラマの企画があって、その原作になるものを、という逆の流れだった。つまり、ドラマを作る側としても、原作を選べなかったのだ。日程もタイトだったろうし。そういう事情を鑑みると、まあ仕方ないのかな、という気にもなります。
 この企画のおかげで、森先生は新しいビジネスを試せてハッピー、僕らは森先生の新作を安く買えてラッキー。これだけでコカ・コーラ社にはありがとうと言っておきましょう。ドラマに関しては、まあ、みんなして忘れれば良いんじゃないでしょうか。