MORI LOG 二題
森博嗣のブログ関連で二つばかし。
■森先生があと15作で引退の件
ブログは来年の12月で予定どおり終了し、以後は、近況などは発表せず、できるかぎり表に出ないことにする。どんどん仕事を減らし(連載をやめ、取材も受けない)、人知れず静かに消えていきたい。つまり、来年12月が事実上最後の挨拶になるだろう。
──『MORI LOG ACADEMY : なんとなく節目かも』
衝撃を受けたのは確かだが、まあ森先生から受け取るべきものはもう受け取ったかな、という気持ちがあるので、それほど寂しい感じはしない。既作の読解だって全然進んでないし。新作が出なくなっても、やることはいくらでも残っているさ。
しかもよくよく考えてみると15作って……、殊能先生の倍……。
■真に『考える』ということはッ! の件
多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のことらしい。
──『MORI LOG ACADEMY : 本当に考えたの?』
MORI LOG で過去最高のはてなブックマークを得た(と思われる)文章。なんだけど、ブクマコメントを見ていると、「悩んでる暇があったら手を動かせ」式の受け取り方をしている人がちょくちょく居て、それはちょっとずれてんなーと思う。それは容易に「考える前に手を動かせ」に転び、本末転倒となる。
この話の勘所は、『考える』ということは、「よし、これから○○について考えよう」といって始め、時間相応に体力を消耗する「作業」なんですよ、といったことだと思う。小説の執筆でいえば、手を止めて今後の展開を考えている時間というのは、キーボードを叩いている時間と同等かそれ以上に重要な作業時間である。外からは休んでいるのと見分けがつかないので評価され難いが、他者に評価されないからといって自分まで無駄な時間だと考えてはならない。この時間を端折ると、結局のところ何も書けない。
考えるってのは、それなりに訓練しないと身につかない特殊技能なんですよね。すっげー疲れるし、すぐには目に見えた成果が出ないので不毛な気分にもなってくる。正直、僕はまだあんまり身についてないです。通勤時間とか、何かについて考えよう、と思ってもすぐに「いや、朝っぱらから疲れることないだろ……」とか思って諦めちゃいますし。
技能を身につけるというよりも、頭の体力の上限を伸ばす、という方がイメージが近いかも。