ペルソナ4終わりました / 千枝と雪子の物語はえろい

 終盤、例によって例のごとく「クリア前の憂鬱」に襲われたので手こずった(ゲームを起動するのに)が、乗り越えた。よく頑張った。しかしあれだよなー、前作でもあったんだけど、シナリオが90%くらい進行したところで一旦バッドエンドを見せるって手法はどうなのかな。今回はそれに加えて99%くらいのところでノーマルエンド分岐があり、それを越えたところにようやく真エンドがあるからな。仮のものとはいえ、事前に何度もエンディングを見せられると感動のピークがブレると思う。真エンド見せてるときに「なるほどねーノーマルエンドとの差分はここかー」みたいなこと思わせちゃ駄目だろという。
 あと、犯人の動機はリンゴォ・ロードアゲインに類するもの(勝手にひとに試練を与えて望んでもいない成長をさせてくれるという点で)と睨んでいたが、特にそのようなことはなかった。まあ、それはどうでもいい話だ。
 その他。

  • キャラクターまわりでは、最序盤で語られる千枝と雪子の物語が一番面白かった。田舎に住まう女子高生二人の強迫観念的共依存話。どこか『少女革命ウテナ』の樹璃・枝織を思い出させる話だ。まあこちらの場合、お姫様=雪子に対する王子様=千枝のコントロールの方が度合いとして強いので、力関係では樹璃−枝織(お姫様が王子様をコントロールしている)とは逆転しているのだが。
    • 雪子(深窓の令嬢系女子)は「こんなシケた田舎町いつかおん出てやる」→「でも独りで出て行く勇気はない」→「男に頼るか」→「でも男は男でマジ怖い」という思考ルートのもと擬似王子様としての千枝(ジャージ系女子)に期待をかけるが、しかし千枝には町を出る気などさらさらないのだ。むしろ千枝は今後ともこの町で続いていく自分の暮らしを睨んだうえで、名家のお嬢さんである雪子をコントロール下に置くことの重要性を認識している。これは政治的にもそうなのだが、それ以上に精神衛生面的な意味合いの方がより強い。
    • 千枝は「自分がいなくては何もできない雪子」という物語によって自尊心を担保しているので、雪子の自立、どころか雪子が自分以外の人間に依存することすら容認できない。表面上は「彼氏作ればいいのに〜」とかニコニコしながら、必ず他者との間にバッファとして入ろうとする。
    • 都会に出て“名家のお嬢様”的立ち位置をキャンセルしたい雪子と、その立場をこそ欲しがる千枝。この二人のコンフリクトがごまかしの効かない領域にまで達したとき、町は霧に包まれ、メディカル・メカニカ社のサイレンの音が鳴り響く! BGMはthe pillows『Advice』で! あいわなすぃーゆーあげんさむでい、うっう〜。
    • というような話。
  • なぜ今この時代になってモチーフがテレビなのか、という点についてはよく分からず。
    • オープニングムービー冒頭にある「乱雑に積まれたブラウン管テレビのイメージ」はさすがに古いと言わざるを得ん。いや、レトロ感を狙ったものだというのは分かるんだけども、このモチーフのレトロ感に引っ張られてテーマまで古くなってませんかという。テレビなんて今どきみんな見てんのかなー。ああでもこれは僕が比較的都会っ子として育ったからこその感覚で、田舎ではまだまだテレビの力は絶大じゃよーマジキモい、とかそういう話、か?
 まとまらないが、こんなところで。次は葛葉ライドウ、か……。
ペルソナ4

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