秋田禎信『我が命にしたがえ機械』読了 / オーフェン再読(02)

 二巻め。ああ、これはわりと想定通り。西部編ってこんなんだよね、という予定調和の安心感を保ったままに最後まで読めた。しかし屈託ないなーこの子ら。まだこのころは。このころの屈託のない付き合いがあるからこそ、後にどうしようもなく抜き差しならん感じに変化していく三人の関係に悶えることになるのだ──オーフェンがどうやったって《牙の塔》時代に戻れないように、この新しい三人組の関係も変化し続け、二度と元に戻ることはないのだ──が、まあ、それはまた別の話だ。
 この巻はシリーズものとして“オーフェン”をやっていくことを決定してから最初の巻ということで(一巻の時点ではまだシリーズ展開する予定はなかったという)、色々と設定の嵐である。これどうなのかなー、もし僕がこの年齢になって初めてこの作品を読んだのだとしたら、設定厨乙wwwとか思っちゃったりしないだろうか。否定はできない。でも少なくとも当時はこの設定の数々がいちいち格好良くてねえ。
  • 設定例1:『呪文といっても僕たちが何となく想定しているような呪文とは違う』
    • 魔力を放つ上で声を媒介にする必要があるため叫んでいるだけであって、別に呪文の内容は関係ない。何の意味もない叫び声でも魔術は起動できる。
      • にも関わらず凝った呪文(オーフェンの『我は放つ光の白刃』みたいな)を使いたがる人が多いのは、自己に対する条件付けのようなものだと思われる。『型』を決めることで集中→起動の流れを半自動化するといったような。
      • あと、魔術を使うということはこの世の法則を一時的・限定的に支配するということなので、ある種のナルシシズムと切り離せないのかもしれない。自身の呪文のオサレさに酔える精神性が重要。
      • そういう意味では、事前に相手の呪文のオサレさ(悪い意味での)を入念にdisっておくことで精神に楔を打ち込みイップスにする、といった戦法が有効なのではないだろうか。
    • 声の届かないところには魔力も届かない。よって、自ずと射程距離は限られる。また、魔術を使えば必ず相手に声を聞かせることになるので、隠密行動には全く向かない。
  • 設定例2:『ドラゴンといっても僕たちが何となく想定しているようなドラゴンとは違う』
    • ドラゴンというのは魔術を扱う生物に与えられる称号のようなものであって、外見は別に爬虫類っぽくない。狼っぽいものもいればヒトっぽいものもいる。
  • 設定例3:『白魔術といっても僕たちが何となく想定しているような白魔術とは違う』
    • 物質とエネルギーをコントロールするのが黒魔術、精神と時をコントロールするのが白魔術、という区分。白魔術=回復ではない。
 途中、ちょっと脱線してしまったが……。要するに、読者の間に最大公約数的に共有されてきたファンタジー世界の概念を少しづつずらし、崩し、再構築するという手口である。無批判に受け入れられていた“お約束”を独自の解釈によって構築し直すことによって、こう、ファンタジー世界観に普通あるふわふわ感(なんだかよくわからない感じ)を廃し、リアリティを出すことに成功している。言い換えればすごい俗世間ぽい感じが出てる。これは良い悪いという話ではなく(ふわふわ感を残すことで神秘的な雰囲気を演出するという選択も当然あることだろう)、“オーフェン”ではこっちを選んで、それが成功しているよね、という話。
 あとマジクな。マジクの天然の天才ぶりはやはり燃える。魔術士としての成長過程の第一段階は「魔術という力を知覚し、とりあえず魔力を放射できる」というもの。これは『HUNTER×HUNTER』の念能力で例えるなら“纏”が使える、といったようなものだが、ここに到達するまで通常五年は掛かると言われているところを二週間で通過してしまうマジク。しかしマジク本人はオーフェン以外の魔術士を知らないため、自分が天才だということに気づいていない……。
 このマジクの天才話は今後も展開していき、ついには西部編ラストを飾る重要な縦糸の一本となるわけだが、それもまた別の話である。