『世界の中心で、愛を叫ぶ』の『、』がキモくてキモくて

 『その時歴史が動いた』でモンゴル帝国の快進撃をほうほう言いながら見た後そのままTVを点けっぱなしにしていたら『NHKニュース10』で面白い話が聞けた。
 綿矢りさ『インストール』『蹴りたい背中』、片山恭一『世界の中心で、愛を叫ぶ』などが並べられ、これらの本にはある共通点がある、それは何か、というツカミ。訊かれた道行く人々は「空気感?」だの「若い人の心情を書いていること?」だのとソフト面に言及するが、答えは『特殊な厚さの紙を使用している』というばりばりハード面の問題でありました。
 話によると、それらに使われている紙は従来より二割ほど厚いかさ高紙と呼ばれるものだとか。以前文藝春秋で『蹴りたい背中』を読んだとき、こんな分量で一冊の本になるんかいな、と感じたものだが、そういうトリックが使われていたわけである。何故そんな工夫をするのか、という疑問に出版社の人間が答える。「一見分厚いが文章量は少ないためにすぐ読める。これが普段本を読まない人々に厚い本を読破した、という達成感を与えるのだ」。
 んー、腹立たしいな。
 本というメディアの最大の美点はその携帯利便性にある。満員電車に揺られて立ちながら読み、飯を食いながら片手で読み、風呂に肩まで浸かりながら読む、そんな読書狂いの連中にとって、単位体積あたりの情報量は多いに越したことはない。収納の面でも同様である。情報量を増やすアプローチの一つは文字サイズ・レイアウトの調整だが、詰めこみ過ぎると逆にリーダビリティを損なうため限界がある。となると残されたアプローチは紙を薄くすることなのだが──オイオイ逆だよ。
 大体その読破した爽快感なんて効果が本当にあるのかも怪しいし、仮にあったとしても、普段本を読まない人々よりもメインのお客さんであるところの本好き連中のために薄くする方に努力するのが筋ってもんじゃないの? 商売として。
「それは違うよリンドウくん」
 あれ、先輩。
「商売という観点で見るのなら、実際に出版業界を支えているのは彼ら言うところの《普段本を読まない人々》、つまりは『世界の中心で、愛を叫ぶ』を買う250万人なんだ。一部の読書狂い、それもハードカバーを買わない君みたいな連中になんて、何の世話にもなっちゃいないのさ」
 うわー的確ー。