理屈がすべて、すべては理屈
- 作者: 小川洋子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2003/08/28
- メディア: 単行本
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「素数を見つければ見つけるほど、その素数を掛け合わせた合成数は急激に増えていく。この分では数字がある程度以上大きくなったとき、素数はなくなってしまうのではないか」
素数は無限に存在するや否や、という問題です。
しばし考え、エウクレイデスさんは「素数は無限に存在する」ことの証明に成功しました。この証明というのが、話を聞けば中学生でも理解できる単純なものなのです。
使うのは背理法。
まず素数が有限である、すなわち最大の素数Pが存在する、と仮定します。このとき、
A=2×3×5×7×11×……×P+1
という、2からPまですべての素数を掛け合わせた上に1を足した数Aを考えます。
このAは最大の素数であるPよりも大きい値ですから、素数ではなく合成数であるはずです。
しかしAは、2で割ると 3×5×7×11×……×P、あまり1。
3で割れば 2×5×7×11×……×P、あまり1。
このように、どの素数で割っても必ず1があまり、割り切れません。すなわちAは素数であり、最初の仮定は矛盾します。
よって、素数は無限に存在します。
(Q.E.D)
証明の出来映えを確認し、エウクレイデスさんはこれまたギリシャ名物スブラキなぞに手を伸ばしながら、満足げに頷くのでした。
こういう話を聞いたとき、僕らはほへー、と感嘆の息を吐きます。
この証明にはなんら専門的な知識を要しません。必要なものは知恵のみ、理屈をこねるだけ。つまり、僕らでも手の届く問題。数学の楽しさ・美しさとは、すなわち理屈の楽しさ・美しさです。
という話を踏まえた上で、小川洋子『博士の愛した数式』感想文を始めたいと思います。
簡単なあらすじ。80分しか記憶が保てないといういわゆる『メメント病』を患う孤高の天才数学者、通称『博士』と、彼の身の回りの世話をする家政婦の『私』、そして『私』の息子、この三人の、身も蓋もない言い方をすれば心の交流を描いた物語。
博士は様々な数学薀蓄を語って数学への愛情を表現し、同時に『私』も数学とそれを愛する博士へと愛情を示していく……という流れなのですが、そこで語られる薀蓄というのが──。
「28っていうのは、自分自身以外の約数を足し合わせるとまた28になる、いわゆる完全数なんだよー」
「きゃー、博士すごい!」
「220の自分自身を除いた約数の和は284、284のこれまた自分自身を除いた約数の和は220。こういう関係を友愛数って言うんだよー」
「きゃー、博士天才!」
──理屈の部分にまるで触れないのです。冒頭の例で言えば、『Q.素数は無限に存在するでしょうか?』『A.はい、無限に存在します』とだけ言われたようなもの。理屈を! 理屈をくれ!
そんなことですから、博士が天才だとはとても思えないし、数学に対して愛情があるのかどうかも疑わしい。お前が好きなのは数学じゃなくて数字じゃないのか? そしてそんな博士に心酔する『私』も気持ち悪い。
ネットでこの本のレビューを眺めてみると、案の定「数学嫌いでも楽しめる」「数学嫌いな人にこそ読んで欲しい」との意見が目立つんですけど、声を大にして言いたい、この本には数学の楽しさ・美しさなどカケラも含まれていない、と。数学嫌いな人は教科書などを読むといいと思います。
評価:【C】
「そんな本が『第一回本屋大賞受賞作』『全国書店員が選んだ いちばん!売りたい本です。』なんだぜ(帯に書いてある)。信じられるか、鈴藤くん」
「はあ、でも売りたいのであって、読ませたいわけではないのですから」
「確かに!」