世界は大槻ケンヂでできている

ステーシー

ステーシー

 大槻ケンヂ『ステーシー 少女ゾンビ再殺談』読了。
 これはヤバい。ヤバいです。何がヤバい? それはね、
 ステーシー→異形
 再殺部隊→異形殺戮部隊
 主軸→創造維持神
 微調整→大熱波
 ……と置き換えればもうBAROQUE*1(の特に前史部分)ができあがってしまうンです。イヤボン技は天使銃です(それはこじつけ)。
 ってあ、そう考えてみると『おわあ、こんばんは』ってな中原中也ネタもオーケン繋がりで出てきたってわけか。そうか……。まったく、90年代後半、奴は一体どれだけのものに影響を与えていたというのか。そして僕は、どれだけ長い間奴の掌中にいながらそれに気づかず幸せに過ごしてきたというのか。まったく、まったく、まったくだぜ。
 いやね、この程度のパクりを悪いとは言わないよ。パクり・パクられで事物は成熟していくもんだし、大槻ケンヂにも影響を受けたネタ元・引用元はあるはずだし(完全オリジナルな人間などいるはずがない――いるはずがない。そうだろう?)。でもね、それでも、自分の好きだったもののパクり元が時間差で、しかも大槻ケンヂなどという基本中の基本というか定番というかそこは押さえとけよであったと判明したときのこの敗北感は如何ともしがたい。それだったらあいつも、あいつも、あいつさえも、特に意識してなかったけど、本当は目に見えないところから僕に影響を与えているんじゃないのか――? 世界はいつだって想定以上に広い。
 天地創造に立ち会えなかった以上、永久にこの如何ともしがたさと付き合っていくしかないのだろうか。それともこれからしばらくは、爪の色も心の色も、大槻ケンヂの意志で決めるべきだろうか。と、気づけば全然『ステーシー』の感想になってない。
 
 評価:【B+】

*1:98年発売のゲーム。公式サイト。いわゆるローグ系RPGという奴でして、ローグ系で一番有名なのはトルネコでしょうが、パンの代わりに心臓を喰らい、巻物の代わりに刑具を発動、指輪の代わりに偽翼を装着、といった感じの雰囲気重視型。