歴史を食むと、砂の味がします

アラビアの夜の種族 (文芸シリーズ)

アラビアの夜の種族 (文芸シリーズ)

 古川日出男『アラビアの夜の種族』読了。
 あらすじ。聖遷暦1213年(西暦1798年)、カイロ。アッラーに守護されたこの土地に、時ならぬ異教徒たちの群れが押し寄せた。コルシカ島出身の青年将校ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍である。近代兵器で武装した侵略軍に、エジプトの伝統的な(時代遅れの)騎士団が太刀打ちできるとは思えない。このまま会戦すれば敗北は必至であった。
 この窮地を脱するべく、時のエジプト知事の片腕、白人奴隷のアイユーブは前代未聞の奇策を進言する。アラビアに古く伝わる伝説の書物、読む者の心をたちまちのうちに魅了し、耽溺させ、狂気に導くという魔術的な禁書『災厄の書』をナポレオンに献上し、フランス軍を内部から崩壊させようというのだ。アイユーブは稀代の物語師ズームルッドを探し出し、彼女の言葉からなる『災厄の書』の製作に着手する。こうして、長い物語の夜は訪れた……。
 この導入だけでもうどきどきものなんですが、ズームルッドの語る『砂の年代記』の中身がまた面白い。長大な物語の間、一切退屈を感じさせません。妄執の魔王アーダム、憎悪の魔術師ファラー、そして白熱の剣士サフィアーン! 一柱の邪神をめぐる彼らの冒険。永遠に拡がる迷宮があり、竜の守護する夢の玄室があり、スライマーンことソロモン王の封印があり――そして、運命に翻弄された三人が暴夜(ルビ:アラビア)の地下王国にてまみえる時、物語は逆流し、現実に浸食する! みたいな。
 最後の、アイユーブに関わる顛末がいまいち理解できてない気がするのですが、強引にわかったつもりになって全体の構造を整理してみると、
『砂の年代記』=『災厄の書』
 ⊂『美しい白人奴隷アイユーブの『災厄の書』をめぐる物語』
  ⊂『夜の語り部たちの物語』=『The Arabian Nightbreeds』
   ⊂『古川日出男が『The Arabian Nightbreeds』に出逢う物語』
    ⊂『アラビアの夜の種族』
     ⊂『読者それぞれの物語』=『災厄の書』
 ……という感じになるんでしょうか。語られた物語は聞き手の物語を呼び起こし、聞き手自身を新たな物語とする。そうして物語は不死性を獲得する、と。
 さて、そんな感じでかなり楽しめたのですが、最後はもっと派手なことになると想像していたので、その点では少し拍子抜けでした。物語が現実に与える影響がちょっと観念的というか地味というか。そこが上品さってものかもしれないのですが、僕としてはもっと強気にハッタリかましてくれたほうが好みだったかな。
 
 評価:【A】【心】
 
 以下、僕の期待したラスト例。
1.カイロが陥落せんとするまさにそのとき、アラビアに暴風吹き荒れ、三度地下迷宮はその姿を現す! そして復活した魔王アーダムがフランス軍を討ち滅ぼす! 史実に忠実なように見せかけてその実、『The Arabian Nightbreeds』は架空戦記だったのだ! 【A+】。
2.エジプト征服の後、ナポレオンは隠匿されたジンニーアの遺跡を発掘、これと契約を交わす。そう、後にこの若き将軍が手に入れる皇帝の座は、邪神の加護の賜物だったのだ! ありがち。でも収まりはつく。【A】のまま。