コンラート・ローレンツ『攻撃』読了

攻撃―悪の自然誌

攻撃―悪の自然誌

 小説ではありません。では何かというと学術書、と見せかけておもしろ動物研究エッセイ、と見せかけて人類の将来を憂う啓蒙書。やたらと読み易い、その上示唆に富んでいます。
 オオカミ同士の争いでは和平のしぐさ、というものが見られる。旗色悪しと見たオオカミは相手に自ら首筋を差し出す、すると相手の攻撃衝動は『積極的に抑制される』(徐々に攻撃衝動が薄れるのではなく、即座に抑制が働く)。こうして闘いは血を見ずに決着し、同族殺しは回避される。
 この種の攻撃抑制の仕組みは殺傷能力の高い動物ほど発達しており、たとえばワタリガラスなんていうクチバシの鋭い、でっかいカラスの類も持っている。が、人間にはこれがない。自然状態での人間の武器は拳と歯、逃げ足もあるし、まず殺し合いにはならない、よってそんな仕組みは必要なく、そんな方向には進化しなかったわけだ。
 で・現在、攻撃抑制の仕組みを持たない我々は、牙だのクチバシだのなんて及びもつかない武器を手に入れた。いや、よしんば降伏のポーズがあったとしても、今や大して役に立たないかもしれない。カラシニコフは闘争相手を文字通り秒殺する。降参する間も与えない。
 攻撃をなくすために、それを触発する要因を取り除けば良いという発想があるが、これはどうも無理くさい。というのも、攻撃衝動というのは自発的なものらしいからだ。原因を絶てばそれでオッケー万事解決という簡単なものではない。それどころか、せき止められた攻撃衝動はそれを解放する刺激を探し求める、つまり攻撃を引き起こす刺激の閾値はぐんぐん下がる。結果、特に刺激がなくとも暴発するようになる。また、攻撃衝動、そしてそれに伴う熱狂状態というのは、何か大きな仕事を成し遂げる原動力であったり、個体間の友情を育むものであったりするっぽので、なくしてしまうのもどうかという面がある。
 じゃあどうすりゃ良いかっつーと攻撃の矛先を無害な対象に向けるってのが使える。『カーバイドの空き缶を踏み潰す』のも有効だが、ローレンツ先生的にオススメなのはスポーツ。個人間でもうまいガス抜きになるが、特に素晴らしいのは国家間レベルでも健全に攻撃性をぶつけ合えるところだ。つまりワールドカップに熱狂し、相手国を野次り倒すのはまったく正しい。――もっともこの場合、各自がおのれの生理学についてわずかにでも知っておくべきではある。これを知らぬ者は容易く煽動者に転がされるので、気をつけなくてはならない(ローレンツ先生は1903年生まれのオーストリア人であるから、ナチスを忘れることはない)。
 攻撃衝動が自発的であること、そして代償行動で結構満足できること、この二つは覚えておくべきでしょう。我々はあいつ(ら)に苛まれている、我々のこの攻撃衝動を誘引しているのはあいつ(ら)だ、という判断が仮に正しかったとしても、それを基にあいつ(ら)を攻撃することはうまくありません。攻撃衝動のもとを正しく攻撃したとろで一時的にしか気は休まりませんし、一時的でいいなら『バイオハザード』なんかでゾンビどもをブッちめても似たような効果があります。ゾンビ相手で済むことを人間に試さないでください。それだけが、僕の望みです。
 
 文脈から外れるが、ローレンツ先生のお茶目な語り口もポイント高い。偉人萌えの観点からも良書と言えるだろう。牛の群れに脅されて湖に跳び込むローレンツ先生。可愛い。