続・Hワード。人間扱いする/ しない

「私はトンデモを人間性の一部と考えているので、わりと放任主義です」
http://www.alles.or.jp/~spiegel/200512.html#d03より、引用の引用

 わはは。面白いし、確かに僕もそういう対応をすることはあるけど、やっぱりイーガン先生には怒られるだろうな。「そこから先は人間性の問題だから踏み込まないで」、「放っておく」「大目に見る」というのは、「排除する」よりはそりゃあはるかにマシだが、最高の、たった一つの冴えたやり方ってわけではあるまい。
 以前、森博嗣が(僕の信者っぷりも大概にしろって話だが)『浮遊研究室』で言っていたことを思いだす。曰く、超能力やらなんやらの信奉者に対して、「信じるのはその人の勝手なのだから放っておけばよい」という見方はあるだろうし、「信じることでその人は救われている」と希望的観測をするのも優しさだとはいえる、しかし、そういう優しさって、相手を人間扱いしていないのではないか?
 人間扱いする / しないの話は難しい。森先生の考えに則ったとしても、時間は無限ではないという問題は残る。人ひとり人間扱いするには手間暇がかかるわけで、どこまで人間扱いするか、という線引きが必要になるだろう。人間扱いの範囲を広げることを意識しつつ、範囲外に対するアクションを最悪「放っておく」に留めておけば、まあなんとか安全か。