『好き』は信用できない / 古橋秀之先生のエッセイからは遠く離れて

  • この世には、「面白いけどなんか好きになれない作品」と「つまらないけどなぜかすごい好きな作品」がある。これはどちらが偉いのか。
  • この問題を考えるためには「好き」について考えなくてはならない。
  • 好きという感情はたいがい歪んでいるので曲者である。そこには必ず独占欲が絡んでくるからである。
  • 「あの娘の可愛さは俺にしかわからないぜ」及び「この可愛さに気づいた俺すげえ」的感覚。
  • つまり、「万人に受けた作品」は、まさに万人に受けたという事実でもって好きになりにくい。というノイズがある。
  • 要するに『「好き」は信用できない』(「筋肉は信用できない」ばりの決断的な貌で)
  • とはいえ、この性質は普遍的なものであるので(誰もがオンリーワンになりたがるという非オンリーワンぶり)、ただちに修正せよ、というべきものでもないが。
  • では「万人受け」と「好き」は両立しないのか?
  • 両立する。実例がある。
  • こう思えば良い。俺の他にこの作品を好きだと言っている連中は衆愚だ、と。あいつら全然わかっちゃいないぜ、この作品の真の面白さを──!
  • つまりこいつの面白さは俺にしかわからんぜ、という気持ちを全人類に呼び起こす作品が最強といえる。
  • か?