いわゆる腐女子人気と男オタ人気の並立する様を『風林火陰山雷』から学べ俺たち

 またもやテニスの王子様の話。
 先日から「『風林火陰山雷』の相剋関係を考える遊び」をやっているが(http://d.hatena.ne.jp/rindoh-r/20080817/p1)、この遊びは本当によく出来てるな。「技には互いに強弱関係がある」というルールの提示、その中で「『風』は『火』に強い」の一箇所だけは作中で明記して固定、その状態で残りの箇所の穴埋めをせよ、ただし『山』については技の正体自体も不明、という。
 『山』は不明である故に、プレイヤー(「『風林火陰山雷』の相剋関係を考える遊び」のプレイヤー)各々の想像力・こじつけ力をいくらでも引き受けてくれる。要するに、穴埋め問題を解く上で、一枚だけワイルドカードを使って良い、という状態なのだ。厳しめのルールで全体を縛った上で、一部分だけバーリ・トゥードを許すという。バランスの取れた名作ゲーと言えよう。
 ……とまで考えたところで、このバランスって、いわゆる「二次創作受けする作品の条件」と同じなんじゃねえの、ということに気づいた。その界隈には詳しくないのでまた聞きベースだが、コミュニティ内で共通に認識されている「お約束」的なものによってある程度強固に場を縛り、その上で各人の妄想力如何で存分にいじり倒せる余地を残す。というのが二次創作受けする作品の条件だとするならば、その構造は「『風林火陰山雷』の(以下略)遊び」と同じだ。そしてテニスの王子様が二次創作受けする作品であったことは今さら言うまでもない。歴史が証明している。
 いわゆる腐女子界隈というものと、我々がやっているテニスの王子様解釈遊びというものは、本質的には同根のものである……、という指摘は以前からあったが、少し納得できた気がするな。どちらも、許斐先生の設定厨な部分と、それに並立する省略の巧さがあったからこそ生まれものだろう。引っかかったフックが違うだけで、フックを作り出した許斐先生の才覚は共通しているのではないか、という。
 こうして考えてみると、『風林火陰山雷』の相剋関係というものに、テニスの王子様全体を構成する魅力の源が象徴されているように見えて面白いな。部分に全体が内包されている。フラクタルだ。

テニスの王子様 42 (ジャンプコミックス)

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