秋田禎信『愛と哀しみのエスパーマン』感想

 秋田先生の書くギャグ作品。など聞くと後期無謀編に見られたあの乾いて乾いて乾ききって死の匂いすら漂い始めたかのような風化した諧謔を思い起こしてしまい、ちょっと背筋に震えが走ったものだが、意外や意外、素直な感じの笑いであった。穏かな心を持つ中学生・王子悟は激しい哀しみによって伝説の超能力戦士・哀しみのエスパーマンに目覚めたのであった! しかし哀しみのエスパーマンの力の源は自身のネガティブな感情であるため、ちょっとやる気を出して正義の味方をしようとすると途端に能力切れを起こすのだった! ぶっちゃけヒーローとか無理なのであった! とかそういう話。
 ヒロインのひととその周辺が、正義のヒーロー的な存在を総称して漠然と“マン”と呼んでいるのがそこはかとなく不思議だった。どこから湧いてくるんだろうかこういう言語感覚は。

「教子、聞いてっ! 大変なの!」
(中略)
「悟くん……悟くんはマンだったの!」

「人知れず敵と戦ってたの! これってマンでしょ!?」
「悪いけど言ってることが分からない」
「なんで!?」

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 主人公が真に幸福になれば超能力は消える。ので、最後はそこらへんに落とすのかなあと予測し実際そのように落ちかけるのだが、そこで主人公のエスパー仲間の先輩が言う台詞が凄かった。主人公は哀しみのエスパーマン。幸せになったらもう超能力は使えない? いや。

「なにを言うか! 幸せなど慣れたら一層の哀しみを背負える! さあ慣れろ!」

 全体的に頭の軽い話の中で、その中でも特に頭の軽いエスパー先輩が、たまにこういう真理めいたことを言うのがたまりませんなあ。