MORI LOG 覚書

 だから、ここに書かれていることは、抽象化された「綺麗事」である。そして、綺麗事の価値とは、それを受け止めた人間が、自分の条件に当てはめて考えてみる、その考えてみるという行為そのものにある。

http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2008/10/post_2176.php

 「それは綺麗事だ」というときの「綺麗」とは、抽象化してノイズをキャンセルされた状態のことを指していたのか。綺麗事が駄目だというのならばそこらへんの雑多な情報を消去せず、生に近い形で語ることになるが、そうやって具体性を持たせ始めると合致する範囲は途端に狭くなる。基本的にそのトレードオフと考えて良く、別にどっちがより良いというような話ではないわけか。