王太郎が来ない

 BSで『スパイ・ゾルゲ』を鑑賞。
 例え作品内の主張がどれだけ正しく、かつ美しかったとしても、ラストにイマジン流しちゃったら大体お終いである、ということがよく理解できました。押し付けがましいのはやっぱ無しです。
 まあそれを脇に置いておけばなかなかためになる映画なのですが、NHKスペシャルとかで一時間にまとめてくれるともっと良かったなーと思えてしまうのは如何ともし難い。
 評価:【C】
 
 折角なので、最近読んだ本の感想も軽く。
 舞城王太郎阿修羅ガール』【B】

阿修羅ガール (新潮文庫)

阿修羅ガール (新潮文庫)

 直木賞受賞作。
 調布で三つ子のバラバラ殺人事件が発生→某大型匿名掲示板で犯人退治のスレッドが盛り上がる→「こんな事件起こすのはどうせガキだろう」という発言→取りあえず調布の中高生を見かけ次第殴ってみる祭り開催→大暴動、という流れは大変面白い。三つ子殺人の犯人、通称グルグル魔人の一人称パートなんかある種革命的ですらある。
 なのに、何故【B】なのか。それはひとえに最終章の説明臭さのせいである。
 折角グルグル魔人パートまで凄まじい力で物語を押し広げてきたのに、最終章に入って一気に失速。予め用意されていたテーマという枠の中に押し込められて行く。『暗闇の中で子供』(感想→5/23)なんかに較べると本当に礼儀正しくなっちゃったなあ、という感じでしょんぼりです。
 澁澤龍彦『快楽主義の哲学』
快楽主義の哲学 (文春文庫)

快楽主義の哲学 (文春文庫)

 妙にテンションの高い澁澤先生に不思議気分。
 内容は、まあ四十年前に書かれた人生論だけあって目新しいものではないですが、ただ、これを読んでやはりアンドレ・ジイドは只者ではなさそうだ、という思いを強くしました。
 「おのれ自身を知れ。この金言は、有害であるとともに醜悪でもある。自分自身をよく知ろうと苦心する毛虫は、いつになっても蝶にならないはずだ」(アンドレ・ジイド)